2012年4月23日月曜日

モスクワにこんな素敵な博物館が!? ~ゴーリキーの家博物館~

=ロシア・アールヌーヴォー建築の極意とソビエト文学のシンボル=

モスクワ中心部、新アルバート通りの裏手には、閑静な高級住宅街が広がっています。そこには小さな劇場やカフェ、ブティックがあり、最高の散策地区となっています。

その一画にたたずむのが、作家、マクシム・ゴーリキーが実際に住んでいた家。現在は「ゴーリキーの家博物館」として一般公開されています。

マクシム・ゴーリキー(1868-1936)とは、「どん底」(1902)という戯曲や「母」(1907)という小説で知られる、ソ連初期を代表する作家で、ソ連の文化イデオロギー「社会主義リアリズム」を最初に実践した作家でした。

この博物館は、ゴーリキーが住んでいた家なのですが、最初はフョードル・シェフテリの設計によって、1902年に商人リャブシンスキーの邸宅として建てられました。
シュテフェリは、モスクワのヤロスラヴリ駅も手がけた「ロシア・アールヌーヴォー」の代表的建築家です。

その後1917年のロシア革命でリャブシンスキーは失脚し、邸宅を手放します。
当時、革命派だったゴーリキーも結核療養のためイタリアへ移住しますが、1932年にスターリンの許可を得て帰国し、この邸宅を与えられ、亡くなるまでの数年間を過ごしました。

外観は落ち着いたアールヌーヴォー様式建築。
正面から見える窓は、それぞれ形こそ違いますが、曲線を強調した窓で、非常に目をひきます。


博物館の入口は裏手の庭にあります。


受付で名前を書いたら、中へ(入場料は無料です)。

メインエントランス

まずはザ・アールヌーヴォーというべき、曲線美の艶やかなランプを頂く大理石の階段が目に入ります。
手すりの彫刻などあらゆるディテールが、やわらかなフォームで成っており、曲線の渦に巻き込まれそうな感じです。



アールヌーヴォー様式が顕著に現れた階段



















ドアにも繊細な彫刻が施され、ドアの上にも美しいステンドグラスや曲線の見事な模様が描かれています。淡い色彩に心が癒されます。


美しい曲線が描かれたステンドグラス
モザイクが美しいステンドグラス
床にも曲線の入った模様



各部屋へ入ると、まず目に入るのが、それぞれ形の異なる、美しい曲線で模られた大きな窓です。

リビングルームは、アンティークな家具で統一された落ち着いた空間。
この部屋もアールヌーヴォーらしい楕円窓があります。


リビングルーム。大きな窓から入る陽ざしがやさしい



そして、図書室


多くの本を所蔵していたゴーリキーですが、見所はリビングとは少し違ったフォームの窓と天井の彫刻。

そして正面玄関の裏を通って(現在この正面玄関から出入りはできません)、
中国を中心にしたアジアの陶器や小物などのコレクションと、ゴーリキーが使っていた机のある書斎へ。



書斎

この部屋の窓は、リビングの窓と少し似ていますが、
格子の入り方が少し違っています


そしてゴーリキーの寝室。こちらはシンプルな大きな窓とアンティークなベッドです。
美しい窓を見ながら、階段を上って2階へ。



踊り場にあるD型にデザインされた柱も見事で、その上には龍の彫刻が施されています。

D型にデザインされた柱

2階は一部しか公開されていませんが、ゴーリキーに関連する写真や資料が展示されている部屋と、晩年書斎として使われていた部屋を見学することができます。



資料が展示されている部屋
ゴーリキーの彫像
ゴーリキーが使っていた机とデスマスク

この机は、ゴーリキーが亡くなる直前に使っていた小さな机。奥には彼のデスマスク。

このように、「ロシア・アールヌーヴォー建築」という点だけでも、見学の価値が十分にある博物館ですが、ここにゴーリキーが住んだ意味を考えてみましょう。

ゴーリキーは1932年にイタリアから帰国してここに居を構え、社会主義リアリズム作家として、そしてソビエト作家同盟の議長として活躍しました。

1936年に死去。
ゴーリキーの死因は不明で、スターリンによる毒殺説もささやかれています。

しかし、ゴーリキーの活躍に敬意を表して、死後、彼の出身地ニジニ・ノヴゴロド市はゴーリキー市と改名され(現在はニジニ・ノヴゴロドに戻りました)、邸宅近くにゴーリキーが設立した文学大学は、彼の死後ゴーリキー記念文学大学となり、現在に至るまで数多くの作家・ライターを世に送り出しています。

真相はわかりませんが、厳粛な雰囲気に包まれた1930年代のソ連に戻ってきたゴーリキーにとって、この邸宅は安らげる唯一の空間だったのかもしれません。

このようなバックグラウンドを考えながら見学すると、より一層印象も深くなると思います。

ロシア文学と建築に関心のある方は、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか?

開館:水~日11:00~17:30(月・火は休館)
入場料:無料(写真撮影は100ルーブル)
住所:Malaya Nikitskaya 6




ロシア・アールヌーボーソビエト文学。柔と豪の両極端が混在する博物館は感動です!
(マリー/モスクワオフィス)

(この記事はネットトラベルサービス東京のロシア情報ブログ“Privet”2011年5月13日の記事を転載したものです)

2012年4月18日水曜日

イースター クロアチアツアー 3

★3日目 モンテネグロ 1day

ツアー3日目、観光はこれが最終日です。
またもやぐずつく空を気にしつつ昨日よりはちょっと早く出発、まずはモンテネグロの国境へ。ボスニアヘルツェゴヴィナとの国境とは違い、こちらでは少々時間を取られました。バスを降りて事務所へ行くと空気がとても冷たく、気温は前日から少し下がり11度ほどでした。添乗員の私の住むフィンランドは5度前後の気温でだいぶ温かくなってきたと思っている頃でしたのに、慣れというのは恐ろしいものです。

モンテネグロとはスペイン語で「黒い山」という意味。現地の言葉では「ツルナゴーラ」と呼ばれていますが、これも同じ意味。その昔海を行き来する人々から見て黒い山々の影が印象的だったためこのような名前になったとの言い伝えがあるとのこと。高い山の中には人気のスキー場などもあるそうです。

この日向かったのはコトルというアドリア海のボカ・コトルスカ湾の一番奥に位置する城塞都市。湾はフィヨルドのようなおもしろい地形で、向かう途中にも岸から岸へ、バスごとフェリーを使って移動したりもしました。
 
バスごと乗り込み・・・10分弱で向こう岸です


対向フェリーとすれ違い

イスラム文化の影響を大きく受けたヘルツェゴヴィナのモスタルとは違い、こちら側はローマ時代以前からの歴史のある街や村が点在し、目に入る景色も雰囲気もだいぶ変わります。まずは昼食をとる予定のブドヴァ旧市街を自由散策の予定でしたが・・・今回はバスを降りると大雨。せっかくですので傘を差しながら街を散策し、少し早めにミックスグリル(白身魚、えび、イカ)の昼食を済ませました。

ブドヴァ旧市街の城壁

城壁の中の旧市街
小さなドアを抜けると海です







こちらの教会ではイースターのミサが行われていました


























自由散策が出来なかったため、ブドヴァを少し早めに出てちょっとだけ良い景色を観にいくことにしました。島全体がホテルになっているラグジュアリーなセント・ステファン島です。何だか映画の中のセットみたいでとても綺麗でした。

桟橋の右側はホテルのプライベートビーチだそう

そして、そこから30分ほどのコトルへ移動。
コトルはビザンチン、セルビア、ハンガリー、ボスニア、ヴェネチア、オーストリア・・・と支配者を変えながら天然の良好として海上交易と造船で栄えました。この街の周りにもやはり城壁が巡らされ、また険しい山並みが背後に迫っています。旧市街は中世の雰囲気です。

入り口を入ってすぐ 佇む時計塔



見にくいですが・・・城壁は山頂まで続きます


聖トリプン大聖堂
この街の守護神聖トリプンの遺骨が祀られています
 街中を観光した後は自由時間。
「それでは自由時間」の掛け声と共に降り出す雨。
今度こそ皆さんに散策を楽しんでもらおうと思っていたのに。。。なんとか雨は弱まりその後晴れ間が出てきました!


山頂まで続く城壁を皆さんと上りました


この城壁の途中には旧聖母教会があり、病気を治したい人々が訪れるそう。途中の踊り場まででもかなり私にとってはつらい道のりでしたがそこまで上られた方はいらっしゃったのでしょうか・・・
ガイドさん曰く
「あそこまで上れたらもう健康よね」
とのことでした。
確かに。













城壁途中の踊り場から眺めた旧市街
ここで満足、足はふらふらの添乗員でした

コトルを後にして、ドブロヴニク方面に向かう途中、最後の観光場所ペラストへ寄りました。
小さな小さな村ですが、ヴェネチア海軍と海運業に貢献し、地中海で初めての海軍学校が開かれました。ロシア海軍創成期の訓練所でもあったとの事。
この村にはコトル湾に浮かぶ二つの島があります。そのうちのひとつが私たちの見学する、岩礁の聖母島。中世、船乗りたちが航海から無事戻るたびに岩を投げ込んだものが島になったとの言い伝えがある人工の島です。

岩礁の聖母島
聖母教会が建っています


教会内部の様子

雪解けのせいで水位がだいぶ上がっておりましたが、島が水浸しになってしまうことは50年に1度くらいしかないそう。

こんなボートで島にいけます


これで今回の観光スケジュールは終了。あとはクロアチア側に戻り夕食。
国境は行きと同じくちょっと混み合っていたのですが、そのおかげで「さっさと通り過ぎてくれ!」と係員に言われてしまいました。

お夕飯はタコの料理。味付けが何だか日本の食卓のようで、そしてこのレストランはクロアチアの伝統衣装を着た女性たちが給仕してくれたのですが・・・残念ながら写真無しです、ごめんなさい。

今回も楽しい方々にご参加頂き、心からの感謝を言い尽くせる言葉が見つかりません。
同じように欧州に在住の日本人の皆様と同じ時を過ごせたこと、とても光栄でした。
また今後も弊社一丸となって皆様にご満足いただけるツアーをご用意していきたいと思っております。今後ともJTBヨーロッパをどうぞよろしくお願いいたします。


ホテルからの眺め
モスタルの猫

ポチテリの猫

ドブロヴニクの猫・・・はいませんが綺麗な小道
コトルの猫・・・よりもケーキに興味がありました
(JTBフィンランド支店 H)

2012年4月16日月曜日

イースター クロアチアツアー 2

★2日目 ボスニアヘルツェゴヴィナ 1day


朝食後に出発。曇りのような雨のような・・・途中休憩で立ち寄ったNeumという小さな街でバスを降りると晴れ間が。聞いたところ、私たちが到着する30分前はここは大雨だったということで、晴れ間運に恵まれていました。


休憩後、国境を超えてモスタルという街へひたすら向かいます。時間にして3時間弱。
ボスニアヘルツェゴヴィナのモスタルはヘルツェゴヴィナの中心地といわれ、オスマントルコの支配下で交易の拠点として発展し、今でもオリエンタルな街並みが見られます。

ボスニアヘルツェゴヴィナには3つの宗教と2つの文字が存在
道路標識もラテン文字とキリル文字が見られます

モスタルに着くとまずはお昼ごはん。メニューはチェバブチチと呼ばれる料理でこれもトルコから伝わったものです。
チェバブチチ=ひき肉のグリル
パンの下に肉がごろごろ隠れています

到着時は雨がやんでいましたが、お昼ごはんの間外を見ると大雨・・・ところがここでもまた、食事後に外に出ると晴れるという奇跡。すばらしい。。。
モスタルには有名な古い石橋があります。オスマントルコ時代に腕利きのトルコ人建築家によって建設され、400年以上崩れもせず川の両岸の人々をつないできました。その後内戦時に破壊されましたが、復元され、2005年には平和の象徴として世界遺産に登録されました。

街の入り口
バザール風の商店が並んでいます

これが古橋
古橋の架かるネトレヴァ川の色、美しいです


コスキ・メフメド・パシャ・モスク
古橋の上からもドームと尖塔が眺められます
このモスクの裏は、古橋の眺められる穴場スポットだそう

モスク入り口



人気の観光スポットのひとつ トルコ人の家 の庭





18世紀に建てられた民家で当時のヘルツェゴヴィナの
人々の生活を垣間見ることができます


















この辺りではどろっと濃いトルココーヒーが飲めるとのことでカフェで注文したのですが、おじさんは非常に面倒くさそうな顔をし「カプチーノがあるよ」と勧めてくれました。どうやら淹れるのに時間がかかるそうです・・・

ちなみにクロアチアも含め「コーヒー」といえばエスプレッソで、通常のフィルターコーヒーのようなものはめったにありません。あとはカプチーノかホワイトコーヒーと呼ばれるカプチーノよりもミルクの割合が多いものがあります。








モスタルにてオリエンタルな街並みを楽しんだ後は、休憩を兼ねてポチテリという小さな小さな村に寄りました。
やはりトルコ色の強い街で、自分がどこにいるのか分からなくなってくるようです。

ちょうど礼拝のアザーンが聞こえていました



その後は来た道をドブロヴニク方面へ向かい、途中平牡蠣で有名なストンで夕食。
ストンにもその昔築かれた城壁が5kmにわたって続いています。
このあたりは塩田と牡蠣養殖が有名で、牡蠣は海から揚げてすぐの新鮮なものをご参加の皆様に召し上がっていただけました。1~5月は美味しく食べれるそうです。

これはグリルしたもの

お腹も一杯になり外に出ると結構な雨。
バスに乗るまでの間濡れてしまった方もおり心配でしたが、ある意味お天気に恵まれたと言っても良いのではないかと思えた一日でした。

3日目はモンテネグロへ

・・・つづく

(フィンランド支店 H)

イースター クロアチアツアー 1

JTBヨーロッパの2012年イースタークロアチアツアー。
スペイン、オランダ、チェコ、イタリア、フィンランドから、合計21名様にご参加頂きました。
ご参加の皆様ありがとうございました。

今回は「アドリア海の真珠」と呼ばれるクロアチアのドブロヴニクに滞在しながら、お隣のボスニア・ヘルツェゴヴィナとモンテネグロを周るという日程。必然的にバスでの移動時間が長くなってしまうため、皆様お尻や背中が痛くなってしまったかもしれませんが、個人旅行ではなかなか難しい行程、グループツアーならではの良さを感じたツアーでした。

★1日目 ドブロヴニク集合、旧市街観光

天気予報はあいにくの雨模様。
出発数日前から「天気予報は予報でしかない」と強気で信じつつ「どうか雨だけは降らせないで・・・」とこっそり空にお願いをしていましたが、この日、バスで旧市街へ向かう際は雨模様・・・添乗員として大きなダメージを受けていましたが、なんとバスを降りるころには雨がやみました!

オノフリオの噴水
旧市街ピレ門から入ってすぐ、メインストリートのプラツァ通りにあります
水の確保が難しかった時代に街の北側のスルジ山を水源として水が送られてきました


噴水の反対側にはフランシスコ修道院の入り口


フランシスコ修道院の回廊
通りの喧騒も聞こえずひっそりしていました

回廊にある薬局は今も営業
ヨーロッパで3番目に古い?
ガイドさんは一番古いと・・・



プラツァ通りを進むとルジャ広場、そこに佇むローラント騎士の像
右腕の肱から手までが「ドブロヴニクの肘」と呼ばれ
かつては商品取引の際の長さの単位の基準でした

旧総督邸の中庭
ドブロヴニク総督は1ヶ月で交代
独裁を防ぐための知恵でした


そしてこのあとは街の北側にあるスルジ山にケーブルカーで上り、あの美しいドブロヴニクの景色を眺める予定でしたが空模様は・・・


ルジャ広場にある時計塔の後ろがスルジ山・・・雲がかかっていて山頂が見えません。これではケーブルカーも動いていないだろうとのこと。上っても何も見えない、ということで一度はケーブルカーに乗ることをあきらめることになりかけましたがお客様のお声を頂き挑戦だけしてみよう、と。短いフリータイムの後にケーブルカーの駅に向かうと、若干晴れ間が広がってきた様子。ケーブルカーも運行OK。


ケーブルカーの駅から見た旧市街

山頂に到着・・・雲の中・・・

展望台から見ても・・・何も見えません
自分がどこにいるのか、分からずわりと怖い景色です

やはりあの綺麗な景色は見れないのか、と残念でしたが・・・流れる雲によってところどころ晴れ間が!
ちらちらと、旧市街の様子を目にすることが出来ました。



少しでも旧市街を眺めることができ、やわらかい太陽の光が当たる皆様の笑顔を見ることができ、何よりの添乗員でした。

2日目はボスニア・ヘルツェゴヴィナへ

・・・つづく

(フィンランド支店 H)